女遊びができるのは、恵まれた人間だけである。

 

ふと思ったことを書こうと思う。

 

今日たまたま、母親の帰りが遅く、連絡もなかったので心配になった。

 

弟に聞くと、どうやら同窓会らしい。

 

とは言っても、僕が帰ってきたのは3時過ぎだし、その時間にまだ帰ってないとなると流石に心配になる。

 

もし事故に遭ったいたら?

 

何か事件に巻き込まれていたら?

 

ふとそんなことが頭をよぎった。

 

ただ、この手の不安は当たることは滅多にないし、話がネガティブな方向に飛躍している気もする。

 

ただ、一瞬だが想像した。

 

もし仮に母が事故や病気で倒れたなんてことがあったら、家族を養っていかなければならないのは僕だ。

 

僕の家は母子家庭。

 

とは言っても、離婚したのは僕が大学卒業してからだし、ここまで何一つ不自由なく育ててもらった。

 

しかし、父親無き今、(※生きてる)母が精神的にも、収入的にも、いざとなった時に頼るのは僕だろう。

 

ふとそんなことを考えた。

 

今まで一切感じたことがなかった、家族を養っていくということだ。

 

去年まで、僕は自己実現がなんだ、やりたいことをやるだなんだ言って、女遊びにふけっていた。

 

別に悪いことではないし、母親としても息子が一人前に女遊びができたほうが、できないよりは誇らしいだろう。

 

ただ、たった今気が付いた。

 

女遊びができるということは、とても恵まれた環境にいるということだ。

 

他に解決すべき最優先事項的な問題もなく、家族が健在で、お金の心配もする必要のない者だけが、気持ちよくナンパをしたり、恋愛という刺激的な快楽に身を落とすことができる。

 

今になって気が付いたことだが、実家暮らしで、大学を卒業して半分ニートのような形で個人事業として活動できているのは、当たり前だが、当たり前ではない。

 

最初はもしかしたら、この事実をちゃんと受け止めていたかもしれないが、人は慣れるし、忘れてしまう生き物である。

 

忘れてもいいことと、そうでないことがあるが、これは多分忘れてはいけないことだ。

 

読者の皆さんは、僕のように忘れてしまっていないだろうか?

 

当たり前だと思い込んで、感謝の気持ちを忘れていないだろうか?

 

女の子がデートに応じてくれることや、セックスしてくれることを、当たり前だと思い込んでいないだろうか?

 

僕に至れば、ブログやメルマガを、読者が読んでくれることを当り前だと思っていないだろうか?

 

恥ずかしながら、僕は大いに思い当たる。

 

この緩み切ったマインドではきっと、何事も為すことはできないだろうし、今が調子が良くてもいつか必ず破綻する。

 

自分は、今できることを、目の前の現実を、真正面から受け止めて取り組めているだろうか?

 

全力でやっているだろうか?

 

後で後悔しないだろうか?

 

自分の本音に耳を傾けて、行動しているだろうか?

 

いつも側にいてくれる、大切な人を、蔑ろにしていないだろうか?

 

僕はもう一度、問いかけてみようと思う。

 

これを読んでいる人も、もし思い当たる節があれば、考えてみて欲しい。

 

僕らは、愛する人を幸せにできているだろうか。

 

心の底から、ハイと言えるような人生を送りたいと思った、12月15日の深夜4時。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

覇道を歩みたいと願ってやまない24歳。 男の自信開発所の所長であり、男の自信開発塾の塾長。 高校時時代→エースで甲子園出場。 大学時代→東京六大学野球。 後にナンパ師、スカウトを経て恋愛コンサルタントとして半年ほど活動。 自身が自信のなさに苦しみ、克服した経験をもとに『男の自信開発塾』を開講。自信のない男の人生を変えるために日々活動中! 連絡先→oliver.oliver.mant@gmail.com